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第二回 街路樹サミット in 大阪

2017.06.11 |

すっかり今年も半年近くが経ち、もう梅雨の時期です。日々の生活に追われブログの更新もできませんでした。途中まで書いてた街路樹サミットについてやっと書いてみました。(汗)

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去年、東京都立川で開催された街路樹サミットが大阪で『第二回 街路樹サミット in 大阪』として開催されました。
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第一回目の時は一般参加者として登壇者の話を聞いていたあまがえる木下さんをはじめとする関西の造園仲間が、この街路樹サミットを関西でも開催しますと第一回目の最後にみんなの前で宣言していたことを思い出します。
総勢250名を超える方が全国から集まりました。街路樹について関心の高さとあの1回目の感動を関西はじめ全国に届けたいと1年間準備してきた実行委員の方々には敬服します。
第一回目と同様に秋田県の福岡徹さんと昨年1年間全国で大地の再生講座を開催して回られた矢野智徳さんの登壇など豪華な顔ぶれとなりました。

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福岡さんは、市長に木らしい姿にしませんか?!とお手紙を出したり、街路樹の最先端行政の東京都江戸川区まで行って勉強されたりと情熱を持って街路樹に向き合い行政に訴えてきたところに毎回感激させられます。造園家としてや時には市民の代表として立場を変えながら、ブツ切りされた街路樹を見ては自然樹形の剪定に訴え変え、担当者が変わるとまたぶつ切りされてしまう、その度にまた行政に訴えてとそれを繰り返し数十年やってきたそうです。その情熱はどこにあるのでしょうか。

街路樹のためにできることは、その価値に気付き、守り、活かすことだと言います。緑の価値は問題でもある。価値と一緒に問題も考え、気づいてもらえるように知ってもらえる機会を作り、守るための具体的方法を示し、活かせる方法を提案すればいい。こうしていけば少しずつ良くなっていく。と話してくれました。

また、ブツ切りはもちろんですが、左右対称に剪定するのではなく、そこの環境に適応した自然樹形の剪定が望ましく固定観念にとらわれない管理が望ましいと言います。山の環境では、崖や谷があったり周りに木々があったり様々な環境があります。その環境に適応しながら木々は生育していきます。それが自然樹形です。道路では周りにビルがあったり川があったり電柱、電線があったり公園や民地があったりします。街路樹も山のように周りの環境に合わせて管理していけば街路樹自身も健康に生育できるのでしょう。木が健康に育つことでそこを通る人々も心地よく感じるものだと思います。木が木らしく生き生きと生育していた方が、返って我々人間も過ごしやすくなるのではなかと思います。それに気づかず、木にストレスを与えるブツ切り剪定をしていればしばらくは落ち葉などのクレームが少なく済むだろう。と、安易な考えではいけませんね。そのためにも行政にはクレームを言うだけでなく、街路樹があることの感謝の気持ちを伝えたり、木を木らしく枝を伸ばしてほしいとの声えを届けなければなりませんね。
自分も綴っているだけでなく行動しなければなりませんね。。。

thumb_IMG_6010_1024京都府立大学大学院准教授農学博士の福井亘先生の話では、都市の緑地、街路樹が生き物とどのように関わっているのかというお話を聞けました。福井亘先生は、都市の中では鳥類が上位種であるので鳥を指標にし、研究されています。ある種の鳥がいれば、この下にどんな生き物がいるのかとみえてくるそうです。
街路樹は、都市に暮らす生き物の移動経路、動線になっていて、都市空間において点在する緑をつなぐ役割になっています。だから、生き物による街路樹の利用状況を把握する必要性があります。ぶつ切りの街路樹は見た目も悪いが生態系にとっても問題であることがわかります。また、樹種についても単一樹種でなくたくさんの樹種があったほうが鳥もたくさん集まってくるというデータも発表されました。
ここで、思い出されるのが、第一回目の街路樹サミットの話です。埼玉県の久喜市では、街路樹を道路の付属物としてでなく、自然環境の一部として捉えているという話です。だから、新規で街路樹を作る際には、一つの樹種でなく色々な樹種を混ぜながら街路樹を計画しているそうです。久喜市の取り組みが素晴らしいことがわかります。
また、浜松の街中の街路樹ではムクドリが夕方大量に発生します。そして、糞をし害鳥扱いをされています。きっとムクドリも街に緑が少なく寝場所がないのだと思います。それも、街に樹種が豊富で点在する緑地をつなぐ動線である街路樹がしっかりとあれば害鳥扱いされないで済むのだろうと感じます。
落ち葉の問題など人間都合で街路樹を管理するから居心地の悪い環境になっていると思います。動植物のためを思った管理をした方が結局は人にとっても過ごしやすい街になってくれるのではないでしょうか?!そんなことを考えてしまいました。
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最後のパネリストは杜の園芸の矢野智徳さんのお話です。矢野さんが街路樹についてどう考えているのだろうかとわくわくしていました。
まずは、いつものように4つの環境分類と8つの環境ファクターについての説明です。まずはどこに行っても大地があります。その大地には骨格を成している表層地質があります。その下には長い年月をかけて浸食したり風化したり堆積したりできる土壌があります。この二つが基本的なものでこれが形を成している大地の形を成している地形があります。
環境の元になっている大地環境には生物環境があります。いろんな動植物が生息していてその動植物とは違うちょっと異質な人間の生活相があります。
そして、次がポイントになってくる気象環境についてです。地上には空気と水が対流していく気象現象がありますが、大地の中にも気象現象があるということです。雨が降れば大地に水が浸透し、土の隙間に水だけでなく空気も通っていることです。今の住環境では大地の中の空気循環が滞っています。矢野さんは、全国の里山や住環境の土壌の中の水脈と言われる空気と水の通り道を改善して周られています。それは、矢野さんが現場作業を通して分かったと言います。土圧によって締め付けられていることで根の呼吸がし辛く苦しんでいる植物は、土の中で停滞している空気を抜いてあげれば大気圧によって押し出されるように水も抜けて、空気と水の流れが改善されれば植物も元気になってきます。地上にも地下にも気象環境があるということに気付いたことが矢野さんの大きな発見だと思います。
大地環境と生物環境と気象環境は、宇宙環境のエネルギーによって空気と水が対流し地球の自転や月の引力などのエネルギーの作用によって動き続けています。
thumb_IMG_6012_1024昔は、自然素材を使った住環境をつくっていて、地中にも空気と水が通るようになっていました。しかし、現代の住環境は川はコンクリートで三面張、住宅の基礎はコンクリートで作られ、道路はコンクリートやアスファルトで覆われている状況です。今の都市空間はコンクリートでふさがれた空間になってしまいました。その空間に空気と水の脈を通すとなると中々難しいが、可能性があるのは道路網だけ。表層数十センチはアスファルトや砕石で覆われているがその下にはまだ天然の大地が残っています。
道路網の中に空気と水が通る脈を持続可能にしていくには植物の力が必要であります。地上と地下で枝や根を張って空気と水の循環を保っていかないといけない。それを可能性としてくれるのが街路樹。人が通る道が同時に空気と水が通る動線の共有の道路網になれるのです。
今の街路樹は、道路の付属物としかされていない、もっと言うと厄介者扱いされているけど、都市空間の中で建物や人との関係を自然に繋げてくれているもので、街路樹こそが都市を救う環境改善のパートナーになり得るのです。空気と水の循環と人の住環境、生き物たちの環境、それを共存させてくれるのは身近な街路樹なのです。人と自然が共存し、空気と水の循環が保たれるには、街路樹の役割が本当に大切になってきます。

身近にある街路樹、その姿はほとんどがぶつ切りされ、木本来の姿とはほど遠くなってしまっています。それが当たり前のような姿になってしまった今、もう一度考え直すべきなのでしょう。と言いながら、中々自分も日々の生活に追われ何もできないでいます。。。木が木らしく伸び伸びと生育できる環境を作るには、人が理解を示さないといけないと思います。一見、落ち葉などない方が掃除もしなく楽で人間にとっては都合のいいように思えるかもしれません。それは、本当にそうだろうか。落ち葉があってもいいじゃないか。葉っぱは落ちるものだし、葉っぱも大切な資源の一部であります。
人の都合を考えた空間より動植物が暮らしやすい環境の方が結局は人も暮らしやすい環境になるのだと思います。これだけ環境が破壊された中ではむしろ、動植物の力を借りないといつかは人も住めない環境になってくるかもしれませんね。
そんなことを街路樹サミットに参加して感じました。

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