年末に思うこと――自然と人は、うまく付き合えているだろうか
11月、一乗寺にて、矢野さんによる「見立て講座」が開催されました。
この講座は、2022年9月の台風15号による記録的な豪雨で、裏山が崩れ、境内の複数箇所で土砂崩れが発生し、墓石の埋没や倒壊など甚大な被害を受けた一乗寺をフィールドに行われたものです。
あの災害から、すでに3年が経とうとしています。
なぜ、今このタイミングで見立てを行うのか。
当時を思い返すと、被災直後はとにかく目の前の状況に対応することで精一杯だったのだと思います。片付け、復旧、日常を取り戻すことに追われ、原因や背景まで冷静に見つめ直す余裕はなかったはずです。時間が経った今だからこそ、ようやく立ち止まり、あの出来事を振り返ることができる。その苦労が、現地に立つとひしひしと伝わってきました。
11月に開催された講座には、平日にも関わらず50名近くの方が参加してくださいました。
その場での見立てを通して見えてきたのは、「ここ一乗寺の敷地内だけの問題ではないのではないか」という視点でした。周辺環境の開発行為や土地利用が、水の流れや地形に影響を与えている可能性がある。であれば、寺の敷地だけでなく、もう一度、周辺環境全体を見立て直す必要があるのではないか——。
そうした話し合いを経て、今回の調査に至りました。
先日12月の年の瀬にもう一度、清水区庵原の一乗寺へ調査に入りました。
矢野さんに加えて都立大学堀信行先生と新潟大学の粟生田忠雄先生と一緒に、地形図や古地図を見ながら、今の開発状況を確認して回りました。

そこでは、本来あるはずの水の流れが、人の手によって分断されていることがよく分かりました。
昔の地図を見ると、水が分散するような土地の使われ方がされていて、今とはまったく違います。

実際に山へ入ると、足元の土はボロボロと崩れ、表層は乾き、水も空気も巡っていない印象でした。

この状態で集中豪雨が起きれば、どうなるかは想像に難くありません。
人の開発によって水の通り道が塞がれ、水が一か所に集まる。
斜面は水をたっぷり含んで限界を迎え、崩れるしかなくなる。
では、その責任は誰が負うのでしょうか。
崩れた土地の持ち主なのか、土砂に覆われた一乗寺が泣き寝入りするしかないのか。
本当は、目に見えない土の中の環境を無視してきた、社会全体の問題なのではないか。
それなのに、現場にいる人たちだけが責任を背負わされてはいないだろうか。
最近、探検家の 角幡唯介 さんの考え方を知りました。
狩猟をしながら探検をする時、「計画をしないことが大切だ」と話されています。
相手は動物で、こちらの思い通りには動いてくれない。
計画に縛られることで、その場で必要な判断ができなくなることがあるそうです。
この話は、自然を相手にした開発の現場ととても重なりました。
地域ごとに地質も水の状況も違うのに、机の上では同じような計画が立てられ、
数字が合えば「うまくいった」とされてしまう。
けれど自然相手の仕事は、その場その場で感じ、判断することが何より大切です。
自然はいつも曲線で、蛇行しながら、不定形に成り立っています。
一方で、人のつくるものは直線的で、整えすぎてしまう。
そのズレが、少しずつ無理を生んでいるのかもしれません。
それでも今の社会は、効率や合理性、計画性を強く求めます。
経済の視点では必要なことですが、その結果として、洪水や土砂崩れ、竜巻といった出来事が、
私たちの暮らしのすぐそばで起きるようになっています。
年末、ついに自分の住む街にも熊が現れました。
正直、とても驚きました。
自然を象徴する存在があるとすれば、熊はその代表だと思っています。
熊が山から降りてきたのは、
「人の社会、少し無理をしすぎていない?」
熊からの問いかけのようにも感じました。
自然は壊れたのではなく、
ただ、人がその声を聞かなくなってしまっただけなのかもしれません。
私たちはこれからも、数字や効率だけでは測れない「土地の声」「水と空気の流れ」「その場所が本来もっている力」に目を向けながら、現場に立ち続けたいと考えています。
小さな一歩でも、自然と人の関係を少しずつ結び直していくことが、未来につながると信じています。
本年も、多くの方々とのご縁に支えられ、たくさんの学びと気づきをいただきました。心より感謝申し上げます。
来年も、自然に学び、自然とともに考え、地域に根ざした取り組みを重ねてまいります。
皆さま、どうぞ健やかで穏やかな年末年始をお過ごしください。
来年もよろしくお願いいたします。





