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沖縄やんばる・伊部岳 山・川・海がつながる場所

お正月明けに、沖縄やんばるへ行ってきました。
やんばるの自然を肌で感じたくて、
日本最大のどんぐりがなるオキナワウラジロガシが育つ
伊部岳に登ってみることにしました。

登り始めて、まず目についたのがマングース捕獲の罠でした。
自然豊かな森の入り口で、少し意外な光景です。

調べてみると、マングースは沖縄の生態系に大きな影響を与えている存在だそうです。
もともと沖縄にいた生きものではなく、
持ち込まれたことで、ヤンバルクイナをはじめとする
固有の生きものたちが捕食され、
生態系のバランスが崩れてしまったといいます。

豊かな森の裏側には、
人の手で守り続けなければならない現実もある。
やんばるの自然は、ただ手つかずで残っているわけではなく、
多くの人の関わりの中で支えられているのだと感じました。

そして、足元には赤土。
これも沖縄らしい風景のひとつです。

本州で見慣れた土とはまったく違い、
鉄分を多く含んだ赤い土が、
森の色や、そこに流れる空気感をつくっているように感じました。

この赤土が雨で流れ、海へと出ていくと、
サンゴや海の生きものに影響を与えることもあると聞きます。
赤土の道を踏みしめながら、
森の奥へと入っていきます。

サイズの大きいシダや、深い緑の常緑樹。
クワズイモ、ヒカゲヘゴなど、
本州ではなかなか出会えない植物たちが、
この森ではごく自然に、足元から視界いっぱいに広がっています。
やんばるの光や湿り具合を感じながら、

日本最大のどんぐりがなる木――
オキナワウラジロガシがあると聞き、
その姿を思い浮かべながら、さらに奥へと足を進めていきます。
オキナワウラジロガシに到着すると、
その場に立つだけで、
この森の時間の流れが違うことを感じます。
想像していた以上の大きさに、ただ圧倒されました。


幹の太さ、地面に踏ん張る根の力強さ。
見ているだけで、
この森を静かに支え続けてきた存在なのだと感じます。

オキナワウラジロガシを後にし、引き返して、
いよいよ山頂を目指します。


道中では、さまざまな葉の形や木の実に目を留めながら、
ひとつひとつ観察し、楽しみつつ進んでいきました。

途中、明らかに人の手によってつくられたと思われる工作物がありました。
森の中で少し不思議に感じ、そのときは先へ進みます。

翌日、地元のガイドさんに話を聞くと、
それは昔の炭焼き小屋の跡だと教えてもらいました。

今は深い森に包まれていますが、
かつては人がこの山に入っていたのだと知りました。
ゆっくりと歩みを進め、
伊部岳の頂上に着きました。

やんばるの緑の濃い山々の起伏が目の前に広がり、
その先には、沖縄らしい青い海が続いていました。

山と海が近いということも、沖縄ならでは。
その中で、ひときわ目立つ海岸が目に入り、
気がつくと「行ってみたい」と、自然に思っていました。

一気に下山し、車に乗り込んで、
先ほど山頂から見えた海岸、伊部海岸へと向かいます。

車を降り、木々に囲まれた海岸林を抜けると、
次第に波の音が近づいてきました。

海岸林を抜けた先には、
白い砂浜とエメラルドグリーンの海。
思わず立ち止まってしまうほどの景色が、
目の前に広がっていました。

砂浜に立ち、スマホで地図を開いてみると、
少し歩けば河口まで行けそうだと分かりました。
迷うことなく、足を進めます。


河口では、水の流れが穏やかになり、
陸と海の境目が、はっきりと区切られていないように感じました。
護岸工事もなく、
自然のリズムのままにつくられた風景が、
静かに広がっています。

上流のほうへ目を向けると、
先ほどまで登っていた伊部岳の姿が見えました。

山に降った雨が川となり、
やがて海へと流れていく。
山と海が、水を通してひとつにつながる――
ここが流域の中にあることを、
あらためて実感します。

そして、岩場のほうへ目を向けると、
ひとつの石碑が目に入りました。
何だろうと思い、近づいて見てみると、
そこには「エーヤー之神」と刻まれていました。

「これは、どういう意味なんだろう?」
そう思い、その場でスマホを取り出し、
調べてみることにしました。

エーヤー之神は、
沖縄・やんばるの伊部地域に伝わる**在地の信仰(地域の神)**で、
山から流れてきた水や恵みが、海へとつながっていく場所(河口)を見守る神
とされています。

自然の力が人の暮らしへと現れるところで、
感謝と畏れをもって向き合うための存在。
その意味を知ったとき、
なぜこの場所に神が祀られているのか、
すっと腑に落ちた気がしました。

神がいるのは、
山の頂でも、森のいちばん奥でもありません。
山と川と海がつながり、
人の暮らしへとひらかれていく場所。
陸と海の境目である河口です。

河口は護岸工事もされておらず、
水と土が、そのまま触れ合っています。
自然を管理し尽くそうとするわけでもなく、
かといって、無関心に手放すわけでもない。

自然に踏み込みすぎず、
けれど、自然が人の世界へと現れる場所では、
きちんと立ち止まり、向き合う。
そんな姿勢が、この場所から伝わってきます。

この場に神を置くということは、
やんばるには、山の頂に神を祀るような
いわゆる山岳信仰とは、少し異なる感覚が
根付いていたのかもしれません。

神は、人の暮らしから遠い場所ではなく、
人が自然の変化に気づける場所にいる。
山から土砂が流れること、
水の量や流れが変わること。
その先の海で、漁の不調や
海の変化に気づくこと。

人々は、
山と海を別々のものとしてではなく、
ひとつの流れとして捉えていたのではないでしょうか。

伊部岳から川を通り、海へと至るこの流れの中で、
人はいつも、
「自然の一部として、どう立つのか」を
静かに問いかけられているように感じました。

やんばるは、多くを語りません。
けれど、歩いて、感じて、立ち止まることで、
ちゃんと伝わってくるものがあります。

人と自然の関係を考えさせられる、登山から流域の旅でした。

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